ザイール・ゴリラ・サファリ (96/5/11記)


海岸とはまったく逆の山の中にもリゾートホテルはある。


ただ、あのルワンダ内戦であのホテルはどうなったのだろうか。


あのゴリラたちはどうなったのだろう。

1988年日本で初めてのゴリラツアー、この話は半年以上前から世界ツーリストの社長、松林さんからこんなのやりたいんだがと打診があった。まぁ、行く場所も行く場所で本当にゴリラが見れるかどうかもわからないのでなるべく気心の知れた人達でと考えるのも想像に難くない。

私は日本からのツアー参加でなく、まず香港へ、ここで奥さんと一緒になって、ニューデリーを経てナイロビへ。ここナイロビでツアーの人たちと合流することになったが、予想通り、数人は以前アフリカで一緒だった人達であった。

ナイロビから空路ルワンダの首都キガリへ。その飛行機の中、緊張して疲れた若い日本女性がが2人と若い男性が1人いた。なんだろうと思っていたが、空港について分かった。海外青年協力隊の赴任であった。空港には前から赴任している協力隊の人達が大歓迎で出迎えており、その笑顔は緊張した女性たちとは対照的であった。迎えに来ていたのは男性達だけであったのでわからないでもない。

ここルワンダもその南の国ブルンジ(今もツチ族、フツ族の対立でもめているが、当時もそうだった)も空港のイメージには、びっくりさせられる。日本からの援助ときくが超モダンな空港ビルが出迎えてくれるのだ。当時キガリの町並みも植民地時代を思わせるヨーロッパ調で。アフリカでも5本の指に入る美しさだそうな。

そこからバスで国境を越えてザイールに入る。国境ものんびりしたもので、一人一人がパスポートコントロールを受けている間、外のシトラスの木の下で木漏れ日を浴びながらぼんやり待つのである。一人のツアーの女性は係官から、「独身か」聞かれて「そうだ」と答えるとプロポーズされていた。和やかな時代であった。ここは、その後あのルワンダ難民がザイールに移動したルートであろうと今になって思われる。

とにかく遠い。わずか2日間のゴリラツアーのために前後2週間程費やしてしまった。


ホテル・カリブHotel Carib

カリブとは現地語で「ようこそ」の意味である。

このあたりで設備がどうのこうの言うのは愚というものである。食事はアフリカサファリ全体に言えることだが、ヨーロッパ人がリゾートで来て不満ないようにできているのでそうまずくはない。アメリカで食べる食事よりもいいかもしれない。それにビールはうまい。
それと、このホテルで印象的なのは、庭にカンムリヅルが放し飼いにしてあって、人間を怖がらないのにこちらがびっくりしたことである。放し飼いというより餌付けしているといった方がよいのかもしれない。根釧原野で驚かさないようにタンチョウ鶴を見に行ったことを思えば、なんだーこりゃぁの世界であった。

サーバルキャット 朝にはホテルの前で現地人がサーバルキャットの毛皮を売りに来ていた。もちろん違法で、当然、ワシントン条約で日本には持ってかえれないわけだが、サーバルキャットなどは素人ではサファリでもまず見ることができない珍種なのでしげしげと見てしまった。私もまだ、生きているサーバルキャットを見たことがない。でもこういうのを買うとまた密猟が横行するので我慢我慢。


ルウィンディ・ホテルRwindi Hotel

こちらはもうサバンナの中にあるコテージ形式のホテルでで、プールも付いていて乾燥していて、そんなに暑くもないので快適そのもの。

ところで唐辛子のことをこちらではピリピーリと発音する。これがペースト状になっているのは真剣に辛いが、いつしかやめられなくなっている自分が恐い。個人的な趣味で言わせてもらえば、ナイロビで買ったピリピーリとにんにくのミックスしてある瓶詰めが秀逸であったが、残念ながらブランドを忘れてしまった。


かばカバ、カバ、カバ、カバ、カバ、カバ

初めてのゴリラ・サファリに参加しようなどと思う人たちは、やはり専門的な人達が多く、大学の鳥類の権威、高校の生物の先生、多摩動物園や那須サファリに勤めている人、子供の頃からゴリラに恋焦がれているおじさんなどなど、、、我々のように単なる物見遊山の人は少ない。私も動物好きではあるが。
逆に海外旅行も初めてという女性もいておもしろい。
まぁ、同じ団体旅行でもブランド買いのツアーとは違って、和気あいあいのいい雰囲気で旅は続きます。

動物サファリもこの頃はよくテレビでもやっているし、ご存知の方も多いでしょうが、テレビでは長〜く粘っていいところだけを放送しているわけで決定的チャンスとはそう簡単に巡りあわせるわけないのです。
アフリカまで来て、1匹の動物も見ることなく帰るということも有り得て、これは天気以上に日頃の行いが左右いたします。ま、詳しくは、マサイマラ・ナイト・サファリの項かセレンゲッティ・ロボの項で述べてみたいと思います。

ということでサファリのプロのような人達と旅するのもおもしろく、ライオンが昼寝しているぐらいでは誰もシャッターを押す人はいない。フィッシャーイーグルが木にとまっていた時などもエンジンを止めて数分間みんながファインダーにくぎづけ、誰もシャッターを切らない。ところが飛び立とうとする瞬間、皆が一斉にシャッターを切るなんてのはなかなか楽しい。
トムソンガゼルとグランドガゼルとウガンダコープの違いについてのうんちくなんかを聞きながら、車を走らせます。
実際、鳥の先生と一緒にいると私なら絶対通り過ぎてしまう間に、何羽もの珍しい鳥を見ることができます。それも解説付きで。といっても大型の哺乳類と違って、鳥は小さいし、大体が明るい空がバックなので逆光で素人がきれいな鳥の写真を撮るのはなかなか困難なようですが。ちなみにその鳥先生、手ぶれもピント合わせも難しい500mmのミラーレンズで三脚も無しにパシャパシャ撮っておられました。

で、今回はゴリラのいる山に徒歩で入るのですが、見れるかどうかはゴリラと引率のレインジャーの力量によります。

8人程度のグループに分かれ、先頭はピグミーの方がナタを持ってブッシュを切り払っていきます。真ん中は我々で後には象をも殺すというエレファントライフルを持ったレインジャーともう一人のピグミーの方が付きます。山奥ではあるのでまず安全とのこと、ただ、ヒョウはいるかもしれないと脅されたが、本当は密猟者が一番危険なのではないかと思われる。
何分、山道というより獣道でさらに日本の山と違って熱帯雨林のため、つたの下をかがんでくぐったり、倒木を乗り越えたりでなかなか大変。さらには前の人がアリの巣を踏もうものなら次の人にアリが襲いかかり痛がゆいことおびただしい。これがサファリアントでなくてよかったですが。多分、普通の人がアフリカのジャングルといえば、こういうところを想像するんだろうなというところです。

でも、ゴリラの寝床(毎日変わる)や糞の状態や草木の倒れ具合でゴリラのいる方向を見つけ出しながら歩くのはなかなかわくわくするものがあります。
それに川があるとピグミーの人がなたで木を切って棒高跳びよろしく川を越えたり、沼地に入ると足がめり込まないところを探して歩いてゆくなど、風雲たけし城さながらでこれもなかなかおもしろい。

ただ、跳んだりかがんだりで山道を数時間を歩くのは並みのツアーでは有り得ません。特に山登りと違って歩けば頂上に着くというものでないのでいつまで歩けばよいのかで気が萎えてしまうわけです。

それでも我々の行いがよかったのか、4時間ほど歩き回った後でご対面できました。我々の前にはボスであるシルバーバックがどんと座って我々を見張っています。その後ろには子供を抱いた母親がお乳をやっていたりして今までの疲れを癒してくれます。 ゴリラ
ところで動物園のゴリラでは到底わからないことの一つに、ゴリラの移動スピードがあります。動物園ではいつものんびりしているように見えますが、森の中を移動する際の彼らの速さたるや大きな岩が転げ落ちるようなものです。あんなスピード襲いかかられたらひとたまりもないなと感じた次第。

ゴリラたちを過剰に刺激しないために御対面時間は10〜20分程度。このためだけに何十万円を費やして2週間の休みを潰すわけですから、まぁ物好きの集団といっていいでしょう。なお、森に入るのは1日2グループのみに制限されていました。ここカブジビエガ国立公園ではね。

ちなみにゴリラの写真をオートフォーカスカメラで撮るのは他の動物よりもむずかしいです。というのは色が黒くてコントラストがないためにフォーカスできないのと周りに小枝やツタがあるのでそちらにピントが合ってしまうのです。単なる言い訳か、、

ここでゴリラについての知識を。ザイールにいるのは、東ローランドゴリラで山にいるからといっていわゆるマウンテンゴリラではありません。マウンテンゴリラはお隣ルワンダにいて、有名なダイアン・フォッシーさんなんか愛されて映画にもなってましたな、エイリアンのシガニーの主演で、今でも絶滅の危機に瀕しています。この2年後ぐらいにはルワンダのマウンテンゴリラとザイールの東ローランドゴリラの両方を見るツアーが企画され私も参加したかったですが、行けませんでした。その他に西ローランドゴリラというのが、カメルーンの方だったかな、少し自信ないですがおります。

それから車で迎えに来てくれる道まで出るのに2時間また歩きます。別のグループは30分程歩いただけですぐ見つかったとのことですが、どちらの行いがよかったのかはわかりません。

私の嫁さんはひざに持病を持っているため、道に辿り着いた時点で歩けない状態に。でも途中でなくよかったです。あんな重たいのを背負うわけにはいかず、ジャングルにほっておくと後々家庭争議が起きそうで。

道端で迎えの車を待っている間、ピグミーの人がナイフで器用に木を切って笛を作ってくれました。彼らにはお世話になったので、着古したTシャツやお菓子をたくさんあげましたが、陰で大きなレインジャーがライフルで頭を小突いて我々が渡したものを全部取り上げていたのを私は見てしまった。ピグミーさん虐げられているなぁ。一説には植民地時代に白人に虐げられていた人々ほどさらに下の者には残虐になるとの話を聞いたことがありますが、そんなものかなと思ってしまった。

次の日、もう一度元気な人のみトライして、今度は2時間かからずに御対面できたと記憶してます。何分第1日目が強烈だったため、2日目の記憶が薄れてます。ちなみに今回会ったシルバーバックにはムシャムカという名前が付けられていて、今年の3月か4月にテレビでやっていたゴリラ番組に元ボスということでムシャムカの名前が出ていたのには懐かしく思ってしまいました。と同時に、あのルワンダ難民騒動の後でも一応あそこのゴリラたちは健在であったと安堵する次第でありました。

ちなみに興味ある方へ、ゴリラツアーをやっているのは、世界ツーリスト。おととしのTBSテレビのツアー大賞みたいなのでサファリツアーの企画で優勝してました。前述の松林さんも出演してましたので顔を覚えておられる方もおられるでしょう。なお、年に1度程度なので今年の分は予約終了している可能性あり、今年はウガンダだったかな。


孤児


密猟者に親を殺された子供のゴリラ。

私は以前ナイロビで子供のゴリラの生首で灰皿を作ってあったのを見たことがあります。店には飾ってなかったですが、奥の方からごそごそ出して見せてくれました。当時で30万円也、ゴリラよ幸あれ。